日本のカレー文化“8月2日はカレーうどんの日”|第310回ナマステ・スパイス(2024/8/1)

第310回(2024年8月1日)に放送した内容の簡単なご紹介です。
ナマステ物語 … 日本のカレー文化“8月2日はカレーうどんの日”
話してナマステ … 野々市じょんから祭りに行ってきた
ののいち発掘 … “じょんから”って何?
SPICE MUSIC … コブラ(アニメ:スペースコブラ)

いしかわ観光特使で「自称カレー特使」のナマステです。
2018年4月より毎週木曜日に「えふえむ・エヌ・ワン」で午前10時15分から1時間生放送でラジオ番組をさせていただいています! 番組名は!

N1コミュニティ「ナマステ・スパイス」

2024年4月でなんと7年目に突入しました!
番組内容は、スパイスというのは「香辛料」ですが「刺激」という意味合いでも使われるので「人生にスパイスを!」をテーマに、カレーに関する話を中心に、野々市市音楽などリスナーに少しでも人生の刺激になる話題をご提供できればいいなと思っています(´ε`)

サイマル放送なのでラジオ(76.3MHz)はもちろん全国どこでもホームページからパソコン、スマートフォンで視聴可能ですし、ラジオなのに映像も流れますよ!


オープニング

とうとう梅雨明けずに8月に入っちゃいましたね。まーでも、湿気も減ってきたし、あと数日かなー。にしても暑くて眠いです(^ω^) 眠いと言えばオリンピックですね(^ω^) そうそう、オリンピック見てたらビックリすることがあって。何か音するなーって電気付けたら、なななんと!壁に手のひらぐらいの黒い物体が! コウモリでした( ̄□ ̄;) マジでビビったー! そっと外に出しましたが(嫁さんが)、なかなかないぐらいのビックリ体験。
※ラジオ後に銀行に電話したら交換OKだったので、交換してきましたー! 人生ゲームの札みたいでした(^ω^)

シカゴ「If You Leave Me Now(1976)」
※ほのぼのした曲だと思ってたら、邦題が「愛ある別れ」


特集「ナマステ物語」

カレーを食べ歩いて25年目、石川県でいろんな観光情報を最初にインターネットで発信し出した(たぶん)「ナマステ」が、カレーを中心にいろんなお話をしたいと思います。

日本のカレー文化
“8月2日はカレーうどんの日”

明日、8月2日は「カレーうどんの日」なんですが、なんでクソ暑い真夏にカレーうどんの日なの?って所から、せっかくなのでカレーうどんの歴史などなどお話しましたー! 夏は白Tの人も多いので、飛び跳ね注意ですよ(^ω^)
※ラジオなので深い内容ではなくて、あくまで一般的な内容です。

「カレーうどん」とは

その名の通り、カレーが乗ったうどんですよね。このカレーは、元をただせばインドからイギリスにわたって日本にきたわけで、そしてうどんは日本・・・じゃなくて、遣唐使でなんと中国からはいってきたんだそうで(知らなんだー)。そこに、日本独自の和風だしが加わっていろんな世界の要素が重なってできた「日本独自の料理」なんですねー。

「カレーうどん」の歴史

この辺は所説あるので、いろんなサイトを参考にさせていただきましたが、1904年(明治37年)頃に東京にあった江戸時代から続く老舗の定食屋「三朝庵(さんちょうあん)」さんが最初につくったってのが、一番多い説ですね。残念ながら2018年に閉店したそうです。
三朝庵」は大隈重信が作った今でいう「早稲田大学」の近くにあり繁盛していたそうですが、なんとそこにヤツがやってきたんですね!「カレーライス」。そしてカレーライスは人気爆発してしまい、客足が遠のいてしまって、こりゃいかん!って試行錯誤して開発したのが出汁を入れてまろやかにした「カレーうどん」! 当時のカレーは辛口しかなかったこともあり、昭和初期にはカレーライスを上回る人気になったそうですよー。
三朝庵」ってお店は、カレーうどんの他にも開発したものがあるそうで。なんだかわかります? なんと「カツ丼」だそうです! すごいですねー! カレーうどんとカツ丼を開発して、今につながるだなんて。今考えたらビックリですね。

そして100年

現在ではカレーうどんもいろんな種類も増えて、出汁で割らずに、そのままカレーをぶっかけるスタイルや、インド料理屋さんでもカレーうどんを見かけるぐらい、広がってますねー。自分は意外とぶっかけスタイルが大好きです。
で、カレー好きには記憶にあるかと思いますが、2010年には「カレーうどん100年革新プロジェクト」っていろいろやってました。そして、8月2日を「カレーうどんの日」に制定しました。その理由が、6月1日が「横浜カレーの日」、7月2日が「うどんの日」だから・・・だそうです・・・・

えっ!?

ってなりますよね、自分もなりましたー。あまりにも不思議な話で。しかも、1904年にカレーうどんが誕生したのなら、2010年だと106年になりますわね(´ε`)? 考えたこともなかったけど。それは、「カレー南蛮」が生まれたのが1910年だからだそうで。でも「カレー南蛮の日」ってのは12月1日にあるんで??? まー、そんなもんです(^ω^)

以上「ナマステ物語」のコーナーでした。

コブクロ「ここにしか咲かない花(2005)」
※コブクロがやっとブレイクした時の曲! 沖縄の離島でつくったので歌詞がリアル


話してナマステ

番組開始2年間ほどやっていた、無駄に多趣味のナマステが好き勝手に話すコーナーが復活です。趣味の他、今週あった話など、フリートーク的なお話です。

野々市じょんから祭りに行ってきた

今年で43回目を迎える野々市最大のお祭り「野々市じょんから祭り」に今年も行ってきましたー。毎年二日間で3万人ほどくるそうですね。今年は例年より早く7/27(土)、28(日)でした。
昨年から大きく変わったのが、近辺の駐車場をすべて関係者用にして「シャトルバス対応」にしたことですね。で、想定外の事態もありましたが、二日間行ってきました!

初日の7/27(土)はとにかく暑かった! こんなに人いないってじょんから見たことないぐらい、暑すぎて客も少なかったです。そんな中見たかったのが、シャボン玉アーティスト「AWADAMA」によるパフォーマンス! 自分意外と大きいシャボン玉とか好きなんですよね! で、子供喜ぶだろうなーって思ったら、大喜びで! よかったー(^ω^) めっちゃすごかったですよー! ただ、メガネが汚れます(´ε`)
で、この熱い中FM-N1も毎年恒例の5時間生放送やってて、たいへんだなーっとご挨拶。ただ、初日は意外とすぐ退散! したのは、元々子供がプールに行きたいと言ってて。でも、自分も汗だくだったので、賛成!ってことで、気持ちよかったー! 野々市市スポーツランドの中で、N1特別番組が流れていたのがよかったです(^ω^)

で、二日目の7/28(日)。こちらの目玉は夕方6時からの「お楽しみ抽選会」。それに合わせて夕方以降ねーって思ってたら、娘は友達大勢と昼間から行ったのですが、なんかあるんですよねー、財布が。。。財布忘れていきやがって、結局持っていくことに。そしたら息子もそのまんま行きたい!ってことで、家族を降ろして自分はシャトルバスで。まー、予定より早く…かなり早く行ってしまいましたが、途中からすることなくなって。フォルテ内のエアコンの効いた空間でぽけーっとしてました。
そしてようやく6時からの抽選会も見事に外れ(´ε`)、それから8時からの「総踊り」…なんですが、子供が帰りたい!っと。そりゃそーだわね。元々6時前に行く予定だったんだから。ってなわけで、今年は総踊りに参加せずに帰りましたー、残念(´ε`)! 来年は夕方ですね!

【補足】シャトルバスについて

だーっと書いちゃいましたが、今年からのシャトルバスは個人的には、そもそも駐車場が少ないので、試みとしてはいいのかなーって思いました。ただ、やっぱりいろいろ思う事もあって。野々市市役所から20分間隔で1台のみで動いているので、乗れなかったら下手したら40分待つことになるんですね。これは小さな子連れや高齢者いはツラいので、例えば駐車場を設けないのなら、近くにドライブスルー的な乗降所を設けていただいて、家族連れはそちらで家族を降ろして運転手だけシャトルバスって手もあるかな、と。
あと、そもそもシャトルバスって駐車場を準備できないので、ちょっと遠めに停めて会場まで送迎しますって感じなのに、有料ってのも本来はどうかと。「えっ、お金いるの?」って何人も見ました。せめてシャトルバスじゃなくて「有料バス」とした方がよかったかも。
そして、あの最短とはいえ激混みの渋滞ルートを通るので、必ず渋滞にはまります。それだったら、手前のカレード駐車場あたりで降ろして周回の時間間隔を減らしてくれた方がありがたいですわ。20分の時刻表も結局ほぼ守られてなかったので、約20分間隔(停車時間5分)って表記だけの方が回ったのではー。
などなどですが、駐車場のない野々市のイベント全てに言えることで、なんかある程度、駐車場ない問題を緩和する試みがあった方が、もっと人を呼べるのではーって思いました。

ケイティ・ペリー「Roar(2013)」
※邦題が「ロアー ~最強ガール宣言!」なぜかターザンになるんですね!


特集「ののいち発掘」

野々市生まれ野々市育ちで、いしかわ観光特使「ナマステ」が、いろいろ勉強して「野々市博士!目指そう!」というコーナーです。

“じょんから”って何?

っというわけで「野々市じょんから祭り」に行ってきた話をしましたが、そもそも「じょんから」って何? って大人になってからようやく真剣に考えてみました。そもそも全国に残っている言葉なので、なんか諸説あるんですが、とりあえず、野々市の方に伝わっている説でご説明しました(^ω^)

「じょんから」とは?

諸説ある中、野々市の方で言われているのは二通りで、一つ目は、室町時代にこのあたりで踊られていた「御贄踊り(おにえおどり)」に由来しているんじゃないかと。
そして、一番有力なのは、九州地方の念仏踊り

自安和楽(じあんわらく)

が、なんとなく変わっていったとも言われています。自分もこれかなーって。「自安和楽(自ら安んじて和やか楽しむ)」ってことで、武士も町人も百姓も手を取り合い、ひとつ輪になって踊り明かしたんだそうな。その「じあんわらく」って言葉が「じょんから」になったとか。えっ、無理ある( ̄□ ̄;)? でも、踊りのかんじといい、歴史を考えると説としては近いかなーって。
時は遡り、平安時代中期。ちょうど「光る君へ」を見ている人ならピッタリの藤原氏全盛の一条天皇の時代。鎮守府将軍の「藤原利仁」の孫にあたる「藤原忠頼」が国司として野々市に赴任したんですね(フォルテに銅像がある富樫初代の家国のひいおじいちゃんです。)。
そしたら、その忠頼さんは善政をめっちゃ行い、宗教的な発展も取り入れたりしたので、野々市の人から「京に帰らんといて~」と懇願されましてですね、野々市に永住することを決めたんだそうです。
で、苗字を「斎藤」に変え(藤原氏の中でも祭事をつかさどる人は斎藤氏と名乗ることが多いそうです)、ただ京都にも帰りたい気持ちもあり、野々市付近には京都に似た地名が多いんだそうで。
その善政をおこなった「斎藤忠頼」を称えるのに、「自安和楽(じあんわらく)」を武士も町人も百姓も手を取り合い、ひとつ輪になって踊り明かしたんだそうですよ~。
ちなみに津軽から全国にある「じょんがら節」や輪島の「ちょんがり節」も似たような響きですが、そちらも所説あるんですよー。

「野々市じょんから節」とは?

その踊りが室町時代から言われていますが、盆踊り芸能「野々市じょんから節」となりこの辺で踊られていたんだそうです。ただ、そのうち一度廃れていってしまったのですが、明治39年に踊りも囃子も見直されて、お盆にお祭りとして「野々市じょんから節」として復興で踊り始めました。
さらに、昭和に入り、昭和30年から2年ほどで、現在とほぼ同じ基盤となる「野々市町」が誕生したことによって、昭和35年に「野々市じょんから節保存会」ができて、昭和42年には「町指定民俗文化財」となりました。
お盆に復活した踊りは「野々市じょんから踊り大会」として、踊られてきました。

そして「野々市じょんから祭り」が誕生!

今年、第43回目を迎えた野々市最大のお祭り「野々市じょんから祭り」ですが、その誕生には先ほどの話からつながっていまして、お盆に踊られていた保存会による「野々市じょんから踊り大会」と、商工会が行ってきた「野々市まつり」を一緒にしようじゃないか!って話があって、昭和57年に第一回「野々市じょんから祭り」が、役場周辺(現在のカミーノ付近)で行われました!
自分が9歳の頃なので、ぼんやり記憶にありますが、とにかく歩行者天国にしてものすごかった! って記憶が残ってて。なんか祭りって感じだったなーって。
ただ、平成2年に理由はわかんないですが、現在の文化会館フォルテ周辺になったんですが、確かに最初の頃は、街中を踊り流ししてたのが、小学校のグランドになったので、微妙って空気だった記憶が~。まー、そんなこんなもあって、なんでイベントを商工会が仕切ってて、名物が商工会の「焼きそば」なんだろうなーって思ってたら、元々半分は商工会のお祭りだったからなんですね(^ω^)

これからの「野々市じょんから節」

ちなみに、「野々市じょんから節」は、うちら子供の時は小学校でみっちり教えられた記憶が( ̄□ ̄;)! じょんから節が流れると「フラッシュモブ」みたいにみんな踊りだせる状態だったような(´ε`) 今でも小学校の運動会でやってますが、子供に聞いたら今はさほど教えないんだそうな。。。
運動会でも熱中症対策で一番に切られるのが「じょんから踊り」だし、そもそも子供達誰も踊れていないってのが将来的に大丈夫かー、って心配になりますわ。

ま~、でも自分がこの「自安和楽」説を推したいのは、「武士も町人も百姓も手を取り合い、ひとつ輪になって踊り明かした」って、それこそ野々市市が掲げている「市民協働」の精神そのものじゃないですか(^ω^)! そういうこともあって、この説がいいなーって思って。
そんなこんなもあって、小学校の頃からみっちり「野々市じょんから節」を教えて行っても、全然損はないんじゃないかなーって思いました(^ω^)

プリンセス プリンセス「OH YEAH!(1990)」
※SONYのカセットテープのCM曲。ってか、この曲が一番好きなんですよねー!


SPICE MUSIC

実はイントロクイズはほぼ正解できるぐらい幅広い音楽鑑賞が趣味のナマステが、懐かしいアニメソングを中心に過去に影響を受けた曲についてゆるーく語るコーナーです(^ω^)

「コブラ」
(アニメ:スペースコブラ)

ちょうど、人生半世紀の自分らの小学校高学年がコロコロコミックから少年ジャンプに大人の階段を上ったぐらいに、連載が終わりかけだった「コブラ」。ただ、「サイコガン」ってのが小学生にもわかりやすく、受け入れられていました。そんなコブラのアニメ主題歌は、あれ?って一瞬思ってしまうメロディーなんですね!

ナマステ的アニメの紹介

コブラ」は、手塚治虫大先生のお弟子さんである寺沢武一先生の大ヒットマンガで(ぶいちって読むのだ)、アニメは1982~83年(昭和57年~)、全31話で放送されていました。なんかいきなりサイコガンが壊れていたので?だったのですが、どうやら映画が先にやってたそうです。ちなみに、アニメになると「スペースコブラ」と名前が変わっていました。
そんな寺沢武一先生ですが、実は2023年に68歳で亡くなられてしまい、そんな経緯もあって、2024年現在もアニメやってたりします。
ナマステ的、超ざっくりなあらすじですが、「ビーム銃“サイコガン”を左腕に仕込んだ宇宙海賊コブラ。財宝の地図の秘密を解くカギを持つ三人の美女を海賊ギルドから守るため、相棒アーマノイド・レディとともに駆け巡るスペースアドベンチャー」って、本当に内容はよく分からないのですが、なんかそんな感じです(^ω^)

ナマステ的楽曲の紹介
コブラ

そのオープニングテーマが「前野曜子」さんが歌った、そのまんま「コブラ」。なんと知らなかったのですが、すげー低音ヴォイスで歌がうまいなって思ってたら、あの「ペドロ&カプリシャス」の初代ヴォーカルなんだそうです(ちなみに二代目は高橋真梨子)。ただ、残念ながら1988年に40歳で亡くなられてしまいました。
作詞は中森明菜の「TANGO NOIR」などを作られた冬杜花代子さん、そして作曲は大野雄二さんなのですが、この曲を聞いたことのない人が瞬間に多くの人が

ルパン三世!?

って思うかと思います。自分も思いました! それもそのはず、大野雄二さんはルパン三世の楽曲のほとんどを手掛けているんですねー。そりゃ似るわけだー(^ω^) ちなみに映画「犬神家の一族」もそうみたいです! そんなこんなでアニメソングランキングの上位の常連なわけですね!

何はともあれ、「サイコガン」人気はすごくて段ボールとかでサイコガン作って遊んでた小学生は沢山いましたよ~。

前野曜子「コブラ(1982)」
※アニメ「スペースコブラ」オープニングテーマ

エンディング

やっぱりあと少しは寝不足オリンピック三昧ですねー! 実は東京オリンピック前までは、総集編見るぐらいでしたが、年取ったんだよなー、なんか選手が頑張っている姿見ると心から応援したくなるし、心から尊敬できて力をいただけます。なので、特に選手に対する誹謗中傷は本当に見ててヒドイしツライ。マイナスな行動するよりも、プラスに行動した方が絶対回りまわって自分に帰って来るよーって思います。
ってなわけで、また来週! ナマステ―!

次回(2024年8月8日)の放送内容(あくまで予定)
「ナマステ物語」…スパイス&ハーブの話
「話してナマステ」…フリートーク
「ののいち発掘」…野々市の町名の由来“”
などカレーと音楽と野々市、盛りだくさんでお送りします。よかったら聞いてくんなまし!


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N1コミュニティ「ナマステ・スパイス」

毎週木曜日 午前10時15分から1時間生放送!
えふえむ・エヌ・ワン 76.3MHz
石川県野々市市高橋町24番2号
TEL 076-248-1212 FAX 076-248-8181
https://fmn1.jp/
https://twitter.com/fmn_one  「#fmn1」をつけて投稿してね!

サイマル放送なのでラジオ(76.3MHz)はもちろん全国どこでもホームページからパソコン、スマートフォンで視聴可能ですし、ラジオなのに映像も流れますよ!

また番組で取り上げてほしいネタ、かけてほしい曲などございましたら、えふえむ・エヌ・ワンでも、このサイトの「お問合せ」からでも受け付けています。ゲストに出たい!とかでもウエルカムですよ! ぜひぜひお待ちしております。

※掲載している方にはちゃんと掲載許可をいただいております。基本的に勝手に撮影・掲載するようなことはいたしておりません。
※楽曲関係は可能な限りアーティストの公式にリンクしています。